闇の吐き出し口。

タイトルどおりの厳しい人生を綴る日記。

5/18 ぼくは生きているだけで存在が面白いそうです

朝の電車で腹を下し1限に遅刻するあまりよくない始まり。

あまり好きじゃない立志プロジェクトの最後は、学長の昔話だった。正直、なんの得にもならないような話だった。

 

バイトもいつもと同じ単調な作業。3時間半。睡魔と戦いながらパソコンに向かう。苦痛の時間。

 

いつもの退屈な日々はここで終わるが、木曜日は大学生活において唯一の楽しみが待っている。

 

今では貴重になってしまった、バスケができる時間。

体育館で友達とボールに触れていられる3時間は、なにもない退屈な大学生活の癒しの時間だった。

 

今日ひとつ疑問に思ったのは、「いじられキャラ」って何なんだろう、ということ。いじられキャラはたくさんの人がいる空間でいじられることで、空間が盛り上がるからこそ存在意義を持つのではないだろうか。

 

二人で話している時にひたすらいじられたところで、別にこちらは楽しんでいるわけではなく、ただ相手のストレス発散につきあっているだけにすぎないのではないだろうか。

 

自分はいつから「いじられキャラ」ではなくただの「サンドバッグ」に成り下がったのだろう。

 

そう思うと少し大学に入ってからの「いじられる」ことのなさに違和感を覚え、さみしさを覚え、悲しさを覚えた。

 

高校生の頃、集団で散々いじられることはあっても、ふたりきりの空間でいじられることは滅多になかった。

 

大学に入ってからもいじり続けてくる唯一の先輩は、少しめんどくさい方向にいじり方が傾きつつあるのではないか。そう感じている最近のサークル。

 

とりあえず、「ブス」は耐えられても「嫌い」は自分のメンタルは耐えられないらしい。少し傷がついたかもしれない帰り道だった。

 

同級生の女の子に、いじられることなど一切関係なく、突然に「存在が面白い」と言われた。顔では笑ってても少しショックだったかもしれない。自分は死ぬまでこうして生きていかなければならないんだ、そう思って少しつらくなった。

 

最近、自分の存在意義がわからなくなってる。周りにいる人の前でどう振る舞えばいいかわからない。正しくいじってくれる人が誰一人いない。ただのサンドバッグとして利用する、それか大人しく話している。せめてサークルの同級生の男子のように、普通に接してほしい。

 

最近、自分の存在意義がわからない。